多様性を受入れる時代になりつつあるとはいえ、
残念ながら障害者に対する偏見はまだまだ高いと思います。
多様性つまり個性を認め合うのであれが、
障害者と健常者を区別すること自体がおかしな話です。
ですが、この区別にも意味が有るのです。
私たちの脳は、比較することで物事を認知できるそうです。
例えば、外は暑いと感じるのは建物の中が涼しいという比較からです。
外も中も同じ温度であれば、暑いと涼しいの違いを認知出来ません。
ですから、障害者と健常者という言葉は比較に過ぎません。
もし、世の中の全ての人が同じだとすれと、そこには何の比較も生じません。
だから、自分は何者であるのか、自分のアイデンティティが認知出来ません。
ですから、神様は敢えて一人ひとりがみんな違う様に作ったのかもしれません。
現実的に、どの時代にも世界中に生まれながらに障害を持つ人が一定数存在しています。
【※障害者と表現するかどうかは別の問題です。】
スピリチュアルの視点では、世の中には不必要なものは何もないと言われています。
つまり、障害を持つ人が一定数は必要だという事になります。
「これだけ医療が進化しても、障害を持つ人が減らないのはどうしてか?」
「誰に聞いても分からないと言われるんだけど」
と同じ障害者福祉施設で働く同僚から質問がありました。
わたしは、障害を持って生まれる人が一定数いるのは、宇宙の法則みたいなものだと思っています。
とは言っても、障害は持っていない方が良いと思う方が大半だと思います。
そこで、こう考えてはどうでしょうか?
魂は何度も生まれ変わります。
今回の人生は障害を持つ経験を選んだ魂が一定数いるのだと。
ですから、
障害を持って生まれて来た意味とは、障害を持つことを体験するためです。
そして、五体満足との比較を実際の経験として学ぶためなのではないでしょうか。
私たちが、五体満足で幸せだと思えるのは、そうでない方がいるからだからで、
その意味でハンディキャップを選んだ勇敢な魂を持つ方に感謝したいと思います。
このことを、同僚に伝えると、こんな話を教えてくれました。
子供の時に、近所にハンディキャップを持っている人がいると、
「福ちゃん!福ちゃん!」と呼んで身体を触って、皆で歓迎していたことを思い出したそうです。
私たちは、幸福感を感じることが好きです。
そして、全ての人は「幸せになる」ために生まれて来ました。
障害があっても無くても同じです。
「わたしは、幸せだ」と思える人が健常者で
「わたしは、幸せでない」と思っていまう人が障害者で
幸せになる条件は、全ての人が同じように持っていると思います。