私はずっとノーが言えませんでした。
しかし、あることがきっかけにノーと言う事が出来るようになりました。
そのきっかけと言うのは、ある会社を退職することを決意した時です。
会社に辞表を伝えると上司から退職を強く引き止められました。
会社の人手が不足していることは充分承知の上で、
私の本音はノーでした。
しかし、
退職時期を上司と相談して仮の決定しましたが、
そこからなかなか折り合いが付きません。
上司としては融通が利きそうな私だから困っているので助けて欲しいとの声。
私は情に流されやすいところが有りますので、
はっきりと断るれなくてあやふやな返事をしていたのが原因です。
円満に退職をしたかったので邪険にはできない、
そんな気持ちが余計な期待を持たせてしまったのです。
退職日予定日にも最終的には会社の上層部からの説得。
これはノーと言ことが出来るようになる為の練習である。
わたしは今回の事を相談していらメンターからこのような助言を頂きました。
上層部との話し合いの時の私の心臓はドキドキでした。
でもここではっきりとノーと言えなかったら、
いつもと同じ繰返しになってしまう。
わたしは、メンターからの助言の言葉を胸に秘め、
わたしの退職の決意を伝えて無事にノーと言うことが出来ました。
この出来事は、何時も良い顔ばかりしてしまい不本意にも断れない、
そんな自分に対して「ノーと言えるように仕向けられてたのではないか」
そう振り返ると、ノーと言えた自分を労うことが出来ました。
無事にノーと言うことが出来ると上司の反応もとても穏やかでした。
相手の反応をとても恐れていたけど、取り越し苦労だった。
自分が恐れていたのが嘘の様でした。
この出来事で学んだことは、
自分の意見を言って、はっきりと断っても誰も怒らないし怖くない。
人の顔色を伺って物事をはっきり言えないから誤解が生じる。
自分の意見ははっきりと伝えた方が良いコミュニケーションが取れる。
こんな当たり前のことですが、
それまでの私にとっては相当ハードルが高かったのです。
でも、もう大丈夫。
一度、ノーと言えるようになると、
次からは楽にノーと言えるようになる。
人から攻撃されたり、怒られるのが怖くて良い顔を装うことは、
本当は自分の為にはならない。
何も言ってもいないのに、相手の行動も分からいのに、
想像で怖がっているのは私だけで、何も相手には伝わらない。
こんな学びを得るために神様はこれまでに色々な角度から、
何度も何度も
私にノーと言う練習をさせてくれたのです。