徳積みという言葉の落とし穴。
困っている人を目の前にして、
明確に頼まれた訳でもないが、
放っておけない気持ちが湧いて来る。
私に何か出来ることは無いだろうかと考え、
自ら無償の奉仕活動を行う。
自分の時間やお金を削りながらも、
「自分のしていることは良いことだから」
「いずれは、自分に帰って来るから」という理由で
強く頼まれもしない他人のSOSを引き受ける。
徳積みと言う言葉があるように、
良い行いを重ねると、いずれ自分に返ってくると言われています。
ただし、徳積みは自己犠牲の奉仕を意味しません。
徳積みの本来の意味合いを理解していないと、
良いことをしても何も報われないことが多いです。
それどころか、
返って非難を受ける、結果的に虚しさだけが残る
という落とし穴にはまってしまいます。
例えば、
人生で大成功されてお金持ちになった方の共通点には、
多額の寄付や寄贈、何かの貢献活動など、
継続して世の中に役立つ活動をしているからだと言われます。
それらを、そのまま徳積みしていると鵜呑みにして、
大した余裕のない生活費を削ってお金を寄付をしたり、
本当は身体を休めたい休日にボランティア活動を行う。
これが、人の役に立ち良いことだと思うのは、
徳積みという言葉の落とし穴にはまった状態だと思います。
徳積みの本来の意味は?
徳積みとは、一言で言うと「善い行いを重ねる」ことですが、
伝え方や捉え方で解釈が大きく異なります。
徳積みの本来の意味を理解するには、
大きく二つに分けると分かりやすいと思います。
一つは、
自分が十分に満たされた状態があるのが前提で、
それ以上に力が余っている部分で良い行いを重ねること。
(先ほどの成功者の例はこれに当てはまります。)
二つ目は、
お金も時間も掛けず、人知れず良い行いを重ねること。
この二つの違いは、
人の目に留まるか留まらないかだけで、
使う金額や時間の多さは一切関係ありません。
どちらかと言うと、二つ目の方が
本来の徳積みの意味合いに近いのかと思います。
ですから、どれだけ良い行いをしても
自分を後回しする行為は徳積みとは言えないと思います。
大切なのは、その方にとっての幸せを心から願うことで、
あなたの大切な時間を奪うことを誰も望んでいないと知ることです。