自分は誰の役にも立たない、そんな風に思っている方はいらっしゃいませんか?
「その考え方は間違っています」と断言します。なぜなら、この世に役に立たない様な人を神様が創造するはずが無いと思うからです。
今回のテーマは頑張っている人ではなく、自分は役に立たないので、何もしなくても誰かから貰えればいいその様に思っている方へメッセージを書いてみたいと思います。
人の能力は千差万別で初めから何でもできる人や何をするにも覚えが悪くて時間が掛かる人もいます。何でも器用に出来る人は得だよな、出来ない自分は損している、その様に出来ない自分を恨むこともあります。わたしもかつてはそうでした。勉強が出来てリーダーシップも取れる、そんな人はいい大学に入って大企業に就職してそれだけで勝ち組で順調に出世して将来は安定。わたしは勉強ができないし運動も得意でない私はそこその企業に勤めて平凡な生活を送るだけ。頭のいい人が世の中の中心でそうでない私は世の中の為に何もする必要はない。そう考えていたこともありました。
そんな中で私の考えが変わった出来事がありました。それは、大学を卒業して社会人になってからです。私は、鉄鋼建築の副資材を扱う専門商社に女性初の総合職として入社しました。配属先は南大阪の営業所にて外回りの営業。営業なので当然のこと、売り上げ目標がありす。その会社では、単純に売上の数値だけの評価ではなく、ハンディキャップ制度みたいなものがあって、担当地区の前年の実績と入社年数も配慮して決められました。私の場合は初めての女性営業の採用ということで、営業車は従来男性が乗るトラックではなくセダンの車を購入してもらい担当地区も営業所から近い所を担当させて頂くことになりました。荷物の納品も車に乗らないものは配達専門の方が優先的に運んでくれるなどの配慮が有りました。その結果、私の成績は全国でトップテンに入ることが出来きました。トップテンに入るとボーナスも貰える制度があり、自分も会社の売り上げに貢献で来ていることを実感した経験をしました。
これは、ハンディキャップ制度のお陰であると思います。人には生まれつきに持っている能力の違いがあります。出来る人も出来ない人もみんな同じ社会の中で暮らしています。きっと神様がそのように世の中を創造しているのだと思います。わたしがこの出来事で学んだのは、学生の頃は物凄く頭のいい人からそうでない人まで、世の中全体の仕組みの広い範囲の中で凄く出来る人と自分を比べていたという気づき。そして、企業と言う少し小さな範囲の中で女性と言うハンディを認めてもらうことで、自分も売り上げと言う形で会社に貢献できると言う気づきです。
ハンディキャップ制度は、ゴルフで使われています。それは、ベテランでも初心者でも全てのプレーヤーが同じように楽しみ、誰もが賞を取るチャンスがあるというワクワク感があります。自分は上手くないから上手な人と楽しめないと思う必要がありませんし、上手な人も物足りないと感じることも無いと思います。
私たちも日常で生活の中でこの考え方を取り入れては如何でしょうか。自分は頭が悪いとか不器用だから人の役に立たないからと言う理由で集団社会から孤立するのではなく、時間や手間は掛かるかもしれないがそれについて配慮してくれるルールがあればみんなでゲームが楽しめるのではないでしょうか。いつも勝ち組の人も今までと同じでは優勝できないし、そうでない人も今よりも少し努力すれば優勝できる可能性がある。そのような考え方を採用することで、どんなハンディキャップを持っている人でも積極的にみんなで生活を楽しみ喜びを分かち合う日々が過ごせると私は思います。